はじまり
「タイに行くことになるかも」
そう夫から告げられて驚くよりも、とうとう来たか、という気持ちだった。夫と同じ職場で働く私には、彼の置かれている状況がある程度は把握出来ていたから。
「仕事の環境は大変だと思うけど、キャリアには絶対プラスになると思うから、行くなら家族で付いていくよ」
そう答えた私には、なぜか家族でタイに住むことが楽しいイメージでしか描け無かった。英語もほぼ話せない、岡山県外に住んだこともなかったのに、だ。
当初の話では最長5年の予定の海外赴任だったが、結果6年間タイのバンコクに住んでいた。本帰国してから、1年5カ月経った今思うことは、家族3人で海外に住めたという経験は本当にラッキーだった。
もちろん、初めからタイが楽しくて仕方なかった訳ではない。最初の1カ月は全く言葉の通じない国で頼れる人は無く、マンションから外に気軽に出掛けることも出来ず、息子の幼稚園すら決められなかった。けれど、マンション内で顔見知りになった人達に幼稚園選択のアドバイスをもらって、息子が入園出来てから、ママ友が出来たおかげで少しずつ何とかタイに馴染めだした気がする。
仲良くなった友達に紹介してもらってタイ語やルーシーダットンというタイ式ヨガを習ったり、幼稚園のアルバム委員に立候補してママ友の輪も広がった。そうして、1年経つ頃にカラーの勉強を始めたことが一番の転機になったと思う。
日本人の駐在妻向けのカルチャー教室で日本のカラー検定を受検し資格取得後、現地で有名な日本人カラーリストの先生の門下生になった。勉強が今まで楽しいと思ったことは無かったが、カラーの勉強は私にとってとにかく楽しかった。
師と仰ぐ先生のおかげで、日本にいたら直接話せる機会も無かったような方々とたくさん繋がれた。門下生の仲間とは未だにしょっちゅうラインやWEBでやり取りをしている。
残念ながら、タイ語はほとんど上達せずすぐに諦めたが、一生の仕事にしたいと思えるカラーに出会えたこと、そしてこれからも離れてはいるがずっと繋がっていたいと思える人たちとの出逢いとそこから広がった様々な経験が、私の人生の宝になったと思える。